隣の家の少女

<あらすじ>
主人公の少年・デイヴィッドの隣の家に、事故で両親を失った2人の姉妹が住むことになる。
引き取り先である姉妹の大叔母・ルースは自分の子供たちと共にこの身寄りのない姉妹を虐め抜き、幼いデイヴィッドはそれを知っていて止められないでいる。
姉妹の姉・メグが凄惨な虐待を受けるのに耐えられなくなったデイヴィッドは、ついに彼女が逃げられるよう手引きするが…。

 

<感想>

1.優しくて悲しい話

ネットで胸糞映画ならコレという前評判を見て今回見るに至りましたが、そんなに胸糞ではないなというのが第一の印象。

虐待の描き方も割と優しめに描かれているなと感じますし、3で後述しますが被虐待児は完全な孤独ではなかったので。

日本や世界を、シムピープル(ゲーム)みたいに一個一個の家庭を覗いてみれば度合ややり方は異なれど、こういうことは常に行われているだろうなという感じです。

 

2.虐待者・ルースの過去が気になる
現代ですら女性の自由は男性ほど認められていません。それならばルースの生きた時代なんかはどうだったんでしょうね。
この映画の舞台は1950年代ですが、当然今より人権意識も低く、女性の生きづらい時代であったのは想像に難くありません。
そんな中で男児3人をもつシングルマザーであるルースは、一体どんな人生を生きてきたのでしょうか。

私はルースが作中で行った言動は、全て彼女がされたことだと思って見ていました。

「女は娼婦でなんたらかんたら~」「男はウンタラカンタラ~」「女の股間はどうたら~」「男はなんたら~」

ルースは作中でたくさん語ります。威厳を込めていう様はさながら女教師のよう。でも言ってることはムチャクチャでこんなもん間に受けるのはバカくらいです。(あっルースの子供たちのことだね)

・・・まあ口に出さないまでも誰でも心の中にありますよね?男性はこうあるべき。女性はこうあるべきっていうイメージは。それを押しの強いキレ気味の母親っていう強い立場で実現しちゃうのがルースの行動力のあるところです。(褒めてません。もちろん)

 

ルースには三人の男児がいます。(クソゴミガキです)ですがルースは男性嫌悪です。
3人の男児を男として恨んでいます。

子供たちも母親のその拒否感を受けて育ってきたのでしょう。可愛げがなく妙にすれて攻撃的で、それはさすがにやっちゃダメでしょっていう歯止めがまったくききません。まぁそう育てばそうなるやろって感じですね。
この虐待に協力する3男児は一見救いようのないゴミですが、ここまでに育て上げたのはルース(と不在の父)に他なりません。

またルースは女性嫌悪でもあります。女を見下げて根っから馬鹿にしています。
でもそれは、全く同じようにルースが見下げられて馬鹿にされてきたからだと思います。

人間、自分がやられたことを自分が強い立場になってから弱い立場にやりかえすという習性をもっています。

よくアップにされるルースのギョロギョロした目。あれを見てあなたは怖いと思いましたか?悲しいと思いましたか?それとも美しい?

この映画は被虐待児メグ、スーザンと救えなかったデイヴィッドの話でもありますが、同時に虐待者ルースの物語であると思いました。

 

3.孤独ではない、だが…
メグは独りぼっちで地下室に閉じ込められていますが、孤独ではありません。
デイヴィッドとメグは終始心が繋がっています。これがどんなにメグを慰めたでしょう。
メグはデイヴィッドの心を信じていたのでしょうし、デイヴィッドもメグを信じ、ルースの戯言に耳を貸さなかった。

デイヴィッドにはメグを救うチャンスがたくさんあった。あれだけメグが好きだったのに、どうしてメグたちが虐待されていると親に言えなかったのか。これはすごく興味深いことです。


デイヴィッドは親子関係に問題を抱えています。
まず男尊女卑の父親。
「男が女を殴ってもいいのか」というデイヴィッドの質問に、「殴ってはいけないが、仕方ない時もある」と矛盾することを言います。ばかやろう。子供には決して他人を殴るなと教えろ。相手が女でも男でも同じだ。と今の価値観なら言えますが、古い時代の設定ですからそんな父親でも違和感はないですね。(悲しいことながら)

そして教育的なきちんとした母(夫には不満を持っている)。

現代日本でもよく見る封建的な家庭で、デイヴィッドの家でも妻は夫のいうことに逆らわないというカタチができています。だから打ち明けられなかったんだと思います。自分の母は、父の考えを飛び越えてまで行動ができない。デイヴィッドはそれに気づいていました。

児童虐待という人間としての大問題の前にこの大人たちは「女」「男」という視点で見るバカばかり。もし父親が「女」ルースに懐柔されたら…?父が悪いことしたら女でも殴られて仕方ないとか言いだしたら…?そしてそれに母が逆らえなかったら…?

絶望ですよね。父親は信用できないが、母親も同じように信用できない。だから言えなかった。

そして私はディヴィッドの家庭のことばかり言っていますが、これは虐待を知りつつ傍観していた近所の子供たちすべての問題だと思います。

 

<まとめ>
デイヴィッドとメグの良心に泣きました。が思っていたほど胸糞ではなかった。なぜなら家庭内虐待は卑近なことだから。この映画のように死までいくことは少ないでしょうが、虐待されて育った子供は大人になっても地獄を見ますから。

それより、気になるのが広告でしたね。
「少女が嬲られる」ということをエンターテイメントのように押し出してましたが、この広告を作ったのは男性でしょうね。あるいはルース側の女性。こういう配慮のない広告が最も胸糞でした。映画にマジになんなよと思われるかもしれませんが、他の言い方っていくらでもあるよね?楽しんでるよね?映画作品にはキレませんが、広告会社はフィクションじゃないですから。児童虐待をエンタメのように出してる広告にはドン引きでした。