ムカデ人間3
<あらすじ>
映画『ムカデ人間2』を見て満悦そうな会計士と、こんなつまらんものを見せやがってとブチ切れる刑務所所長。
ワンマンすぎる刑務所の管理を問題視した市長が訪れ、選挙戦の前にこれはまずいと所長に改善を要求する。
そこで追い詰められた所長がついに決断したことは、囚人500人を全て繋げてしまおうというムカデ人間計画であった…。
<感想>
1.前作・前々作の主役同士の狂演
オープニングからおっ?まさか…と思いましたが、そのまさか。2の始まりと同じ前作のラストをテレビで見るシーンから始まります。
このパターンで来たかーさあどうなると見ていて、2の主人公を演じたローレンス・R/ハーヴェイ演じる会計士ドワイトが早くも囚人をムカデにしたそうな顔をしている。しかし所長はつっぱねます。しかし最後はどうにもいかなくなって、結局飲むことになりますが、最初からブッ壊れていたのにムカデ人間計画が始まってからのさらなるブッ壊れよう。1の主人公を演じたディーター・ラーザー演じる所長ビル・ボスの、目!動き!顔よ!これを草生やして見れない人には苦痛な映画でしょうが、自分は楽しめました。
ドワイトが2の主人公”マーティン”だったら負けなかったでしょうが、今回は気の弱い会計士。最後にはやられちゃいましたね。やはりハイター博士最強!!!ということで、まぁよかったんじゃないでしょうか。めっちゃ狂ってたけど。
<まとめ>
今回は感想1だけです。色々思ったことはありますが、結局言いたいのは
ハイター博士最高!!!ディーター・ラーザー最高!!!!!!ということです。
こんな狂ったジーサン近所にいるよね。って終始思いながら見てました。イモムシ人間は可愛かった。ハイター博士にぜひ作って、イモムシ人間を幸せにしてほしいと思いました。
隣の家の少女
<あらすじ>
主人公の少年・デイヴィッドの隣の家に、事故で両親を失った2人の姉妹が住むことになる。
引き取り先である姉妹の大叔母・ルースは自分の子供たちと共にこの身寄りのない姉妹を虐め抜き、幼いデイヴィッドはそれを知っていて止められないでいる。
姉妹の姉・メグが凄惨な虐待を受けるのに耐えられなくなったデイヴィッドは、ついに彼女が逃げられるよう手引きするが…。
<感想>
1.優しくて悲しい話
ネットで胸糞映画ならコレという前評判を見て今回見るに至りましたが、そんなに胸糞ではないなというのが第一の印象。
虐待の描き方も割と優しめに描かれているなと感じますし、3で後述しますが被虐待児は完全な孤独ではなかったので。
日本や世界を、シムピープル(ゲーム)みたいに一個一個の家庭を覗いてみれば度合ややり方は異なれど、こういうことは常に行われているだろうなという感じです。
2.虐待者・ルースの過去が気になる
現代ですら女性の自由は男性ほど認められていません。それならばルースの生きた時代なんかはどうだったんでしょうね。
この映画の舞台は1950年代ですが、当然今より人権意識も低く、女性の生きづらい時代であったのは想像に難くありません。
そんな中で男児3人をもつシングルマザーであるルースは、一体どんな人生を生きてきたのでしょうか。
私はルースが作中で行った言動は、全て彼女がされたことだと思って見ていました。
「女は娼婦でなんたらかんたら~」「男はウンタラカンタラ~」「女の股間はどうたら~」「男はなんたら~」
ルースは作中でたくさん語ります。威厳を込めていう様はさながら女教師のよう。でも言ってることはムチャクチャでこんなもん間に受けるのはバカくらいです。(あっルースの子供たちのことだね)
・・・まあ口に出さないまでも誰でも心の中にありますよね?男性はこうあるべき。女性はこうあるべきっていうイメージは。それを押しの強いキレ気味の母親っていう強い立場で実現しちゃうのがルースの行動力のあるところです。(褒めてません。もちろん)
ルースには三人の男児がいます。(クソゴミガキです)ですがルースは男性嫌悪です。
3人の男児を男として恨んでいます。
子供たちも母親のその拒否感を受けて育ってきたのでしょう。可愛げがなく妙にすれて攻撃的で、それはさすがにやっちゃダメでしょっていう歯止めがまったくききません。まぁそう育てばそうなるやろって感じですね。
この虐待に協力する3男児は一見救いようのないゴミですが、ここまでに育て上げたのはルース(と不在の父)に他なりません。
またルースは女性嫌悪でもあります。女を見下げて根っから馬鹿にしています。
でもそれは、全く同じようにルースが見下げられて馬鹿にされてきたからだと思います。
人間、自分がやられたことを自分が強い立場になってから弱い立場にやりかえすという習性をもっています。
よくアップにされるルースのギョロギョロした目。あれを見てあなたは怖いと思いましたか?悲しいと思いましたか?それとも美しい?
この映画は被虐待児メグ、スーザンと救えなかったデイヴィッドの話でもありますが、同時に虐待者ルースの物語であると思いました。
3.孤独ではない、だが…
メグは独りぼっちで地下室に閉じ込められていますが、孤独ではありません。
デイヴィッドとメグは終始心が繋がっています。これがどんなにメグを慰めたでしょう。
メグはデイヴィッドの心を信じていたのでしょうし、デイヴィッドもメグを信じ、ルースの戯言に耳を貸さなかった。
デイヴィッドにはメグを救うチャンスがたくさんあった。あれだけメグが好きだったのに、どうしてメグたちが虐待されていると親に言えなかったのか。これはすごく興味深いことです。
デイヴィッドは親子関係に問題を抱えています。
まず男尊女卑の父親。
「男が女を殴ってもいいのか」というデイヴィッドの質問に、「殴ってはいけないが、仕方ない時もある」と矛盾することを言います。ばかやろう。子供には決して他人を殴るなと教えろ。相手が女でも男でも同じだ。と今の価値観なら言えますが、古い時代の設定ですからそんな父親でも違和感はないですね。(悲しいことながら)
そして教育的なきちんとした母(夫には不満を持っている)。
現代日本でもよく見る封建的な家庭で、デイヴィッドの家でも妻は夫のいうことに逆らわないというカタチができています。だから打ち明けられなかったんだと思います。自分の母は、父の考えを飛び越えてまで行動ができない。デイヴィッドはそれに気づいていました。
児童虐待という人間としての大問題の前にこの大人たちは「女」「男」という視点で見るバカばかり。もし父親が「女」ルースに懐柔されたら…?父が悪いことしたら女でも殴られて仕方ないとか言いだしたら…?そしてそれに母が逆らえなかったら…?
絶望ですよね。父親は信用できないが、母親も同じように信用できない。だから言えなかった。
そして私はディヴィッドの家庭のことばかり言っていますが、これは虐待を知りつつ傍観していた近所の子供たちすべての問題だと思います。
<まとめ>
デイヴィッドとメグの良心に泣きました。が思っていたほど胸糞ではなかった。なぜなら家庭内虐待は卑近なことだから。この映画のように死までいくことは少ないでしょうが、虐待されて育った子供は大人になっても地獄を見ますから。
それより、気になるのが広告でしたね。
「少女が嬲られる」ということをエンターテイメントのように押し出してましたが、この広告を作ったのは男性でしょうね。あるいはルース側の女性。こういう配慮のない広告が最も胸糞でした。映画にマジになんなよと思われるかもしれませんが、他の言い方っていくらでもあるよね?楽しんでるよね?映画作品にはキレませんが、広告会社はフィクションじゃないですから。児童虐待をエンタメのように出してる広告にはドン引きでした。
パッセンジャーズ
<あらすじ>
悲惨な旅客機事故から生存した乗客たちのカウンセリングを任されたセラピストのクレア(アン・ハサウェイ)
患者たちの食い違う証言、旅客機会社の不穏な動き、連絡のとれない姉。カウンセリングがうまく進まない中、身の周りでもおかしなことが起こり始める…。
<感想>
1.メロドラマですか?いいえ…
パトリック・ウィルソン演じるエリックの行動が不気味で気持ち悪い。
躁なのは分かりますが、医者の私生活にずけずけ入り込んで来たり、わざと自殺未遂のような危険なことをしたり、構ってちゃんウザ、クレアもこんなの構うなよと印象最悪でした。
クレアもクレアで、最初はカウンセリングに苦心している姿を見て応援していましたが、なぜかそんな気持ち悪いエリックといい仲になり、ちょ、お前、何してんだよと置いてけぼり状態。アン・ハサウェイ好きなのに、こういう役柄もらっちゃったのか…と同情するほど。しかしいらだつ展開も全て、ラストに向けての布石だっととは思ってもいませんでした。
2.色んなハテナが一気につながる時
クレアとエリックのまるで夢の中のようなご都合展開。職場と自宅の往復、場面の転換の少なさ。陰鬱で湿っぽい、でも美しい、いやに人のいない町。体を通り抜ける電車。
まさか最初から死者の世界を見せられていたとは。
気づいた時には前半で感じた不快感がすべて吹き飛びました。
だからエリックとクレアは異常な速度で惹かれ合った。だから航空会社のアーキンは沈んだような顔をしていた。だからあの時ああだったのだと、全ての謎が一気につながりました。
気持ち悪いって思ってごめんエリック。馬鹿女って思ってごめんクレア。そうとは知らなかった…でも知ってしまったら、何もかもただただ悲しい…。
3.悲しい感動
一番感動したシーンは、クレアが姉・エマの家で真相に気づき叫ぶところです。
「エマ!エマ!」と姉宅の閉まったドアの前でクレアは叫び、くずおれます。
姉がいなくなったんじゃない。自分が姉(生者)の世界からいなくなったんだと分かるのです。そしてアーキンが出てきます。
機長のアーキンは作中で常に「事故はパイロットの責任だった」と言っていました。その意味が分かります。操縦そっちのけでCAとイチャついてました。でも責める気にならないのはなぜでしょう。自分の行いを反省しきった者に、誰よりも悲しい顔をしている者に、かける罵声は見つかりません。
爆発し、壁が剥がれ、逃げることのできない恐ろしい機内。
阻止できない死に、抗うような恋という生きる力が、最高のコントラストを示していました。
<まとめ>
人に薦めたい映画です。
言えばストーリーに既視感はあるっちゃあります。こういうゲームしたことあるなって。しかし映像美と演技と演出が何にも増して素晴らしい。
自分もたまに航空機に乗りますが、死ぬ前にアンハサウェイが横に座ってたらそりゃいいよなーとアホなことを考えました。
告白
<あらすじ>
授業中にも関わらず私語、いじめの横行するいかにも荒れたクラス。その中で教師(松たか子)が自分の娘を殺した者がこの中にいると告げます。犯人は誰か、なぜ殺人を犯したのかが解明され、教師は殺人に対する贖罪を当該生徒に求めます。
<感想>
1.冗長
最初の30分は面白かったです。松たか子の声が聞きやすいですね。非常に集中して見れました。
しかし、その後様々な登場人物の視点で「告白」が語られる中、どうも演出的にメタすぎるというのか、全てが別にいらない所まで詳しく告白されるのは見ていて冗長だと感じました。
登場人物の心情と言うのはにおわせるだけで十分楽しめると思うのです。しかし細かく丁寧に、「告白」されていく・・・・・・十分だよ。もういいよ蛇足だよと思いました。
2.犯罪者にざまぁみろという気持ち
主犯の少年の一人は恥ずかしいくらい重度の中二病だけどイケメンでした。もう一人は甘やかされた気弱なチビの陰キャ。
この二人が不幸になります。映画の流れ的には勝手に不幸になったといったところでしょうが、松たか子演じる教師・森口悠子は彼らが不幸になってゆく過程を超視点的に観察しています。
チビの陰キャ・下村直樹に関しては、殺人の罪関係なくそもそも家庭の問題が根深いというのがあって、罪に対する贖罪というよりは、放っておいてもこうなっていただろうな感はあります。引きこもりにありがちな、父の不在母の過干渉の家ですね。
こういう子が殺人を起こしたというのがむしろ意外で、なんかよく分かりませんでした。結局母親を殺しますが、この子にとって殺したいのは悠子の娘ではなく最初から母親(と父親?)だったのかもしれませんね。
一方中二病のイケメン・渡辺修哉に関しては、まぁどこまでこじらせればこうなるんだ・・・って感じですね。
ニヒルで無邪気、賢いけどバカ。中学生らしく幼稚。歯並びの悪い舌足らずな「ぼく」という一人称が非常にゾクゾクしました。「なーんてね」も寒すぎてゾクゾクできます。
この子も結局母親に捨てられた絶望が人生のほとんどを占めていて、父親の再婚で父にも捨てられ、でもそのことはむしろどうでもよくて、終始母親に固執しています。
人生で初めて感じた絶望の「ぱちん」という音が忘れられないんでしょうね。
それを取り戻すためだけに生きている感じがします。
修哉は最後にドカンと花火を打ち上げようと、大規模な殺人を計画します。多くの無差別殺人犯がやるような自殺としての殺人ですね。
もちろん悠子が事前に察知して阻止。自殺なんかで終わらせねぇよボウズって感じでラストを迎えます。修哉は色んな衝撃で鼻水垂らしながら嗚咽してます。犯罪者が不幸になってざまぁという、ここがこの映画一番のカタルシスでしょう。
でも悠子の思いが、修哉にどこまで分かるのでしょうね。
あなたの一番大切なものを、自業自得といった形で奪わせました。
そういった大人の悪意を、果たしてこの少年は更生につなげることができますかね?
退職した大人が長い間つきまとって中学生相手にやることがこれかと。逆手にとって被害者意識に浸ることもできます。僕は母親に捨てられたのにと。
更生というのは難しいですね。いくら罰を与えても命の教育を受けようとも、衝動でやっちゃう人間は止められませんからね。
修哉は絶望から殺人を犯すに至った。悠子もまた絶望からここまでのことをした。悲しいけどいつしか絶望が生きがいになっていくのです。悠子も逮捕されるでしょう。そのあと一体どうなっていくでしょうね。
3.唯一の救い
この作品に出てくる大人は変なやつばっかです。子供も変なのばっかです。
その中で唯一マトモっぽくて何より美女なのが橋本愛演じる北原美月。
クラス委員長をしており、先生と一緒に不登校の下村君のおうちに行ったり、個人的に修哉と親しくなったりします。
聖母ポジでしょうか。修哉を救えるのはこの子だけだった。
しかし心の幼い修哉にはこの手の女子はまだ早く(中学生なら当然といえば当然なのですが)、この思春期の女子にありがちな『本当のことを言う』性質を受け止められず、ガチギレして殺してしまいました。
修哉が母親を殺した時、感じたことが更生の始まりだみたいなことを悠子は言いましたが、修哉が美月を殺した瞬間更生の道は断たれたのではと思います。
悠子の娘は「どうでもいい他人」。殺すのもまぁ、分かります。いや、分かりませんが・・・まだね。
しかし最も自分に近い友好的な他者・・・どうでもよくない友人であり、この人から自分は世界に出ていくという人を殺した時、自分の中の野獣に打ち勝てなかった自分を知るでしょう。
賢い修哉はどこでも更生したふりはできるでしょう。すぐに模範囚なんて言われるでしょう。しかしこの時完全に、世の中とのつながりは断たれて永久に繋がらないと思いますね。
美月を殺すべきではなかった。(分かっていたなら、悠子は美月を守るべきだった)
それすらも失わせて更生の始まりというのであれば、まぁそういう考えの人もいるでしょうねって所ですが。
<まとめ>
この映画の監督が「下妻物語」「嫌われ松子の一生」を作った中島哲也監督だとは知りませんでした。
その二つは本当に大好きなので。
なぜ今作はこんなに冗長に思えるのでしょうかね。私にとって100分は長すぎました。
犯罪者の成育歴などは個人的に興味深いトピックなのでその点はとても面白かったです。
残穢 -住んではいけない部屋-
<あらすじ>
住んでる部屋で奇妙な現象が起こっている・・・一人暮らしの女子大生・久保(橋本愛)からそんな手紙を受け取ったホラー作家(竹内結子)が怪談仲間や女子大生と共に謎を解明していく。
<感想>
私事ですがYOUTUBEで時々怪談モノを見ています。その中でこの映画がすごく怖いと紹介されたので、興味を持って見てみました。
1.そんなに怖くない
ヤバイのは部屋じゃなくてその土地だった・・・?
映画が進んでいくとそのように解明されていきます。家が建ち、家が壊され空き地になり、また駐車場やマンションなどが建つ・・・。しかし上物をどんなにすげ変えようと、土地が呪われているから呪いは続いていくと・・・。
これは理解できますね。まぁそういうこともあるよねと。
ですがもっと進んでいくと、発端は九州のある土地の炭鉱事故が原因で、呪いが広がったのは嫁いだ娘さんがもってきた絵巻のせいとかになります。
うん、絵巻すごいね。
確かに炭鉱事故は悲惨ですよ。逃げ出したいのに被害拡大しないために出口を封鎖されるなんて。逃げられずに焼け死んだ炭鉱労働者たちの無念さは計り知れないと思います。
でもさ、ここは災害大国日本。それに加え戦争を経験しました。たくさんの無念な死をとげた人がいます。
こうしている間にも強姦殺人や無差別殺人、親からの虐待で殺される人がいます。いえば過労死も殺人ですし、少年のリンチ殺人などもあります。もっと言えば自殺大国です。
その中でいちいち死んだ人の恨みが伝播して続くなど言っておられんじゃないですか。
そう考えてしまって楽しめなかったですね。
2.そんなに怖くない2
人の黒い影が不気味な動きをして近づいてくる。
俳優は腰を抜かしひたすら目を開いてハァハァと息をうるさく荒げる。
このパターンに飽きてる自分としては、黒い影が発生してもあぁ・・・としか思えませんでした。
ここで怖がらないといけないんでしょうが、自分の性格がヒネてるせいか、そのパターン見たことあるからいいよってなります。
これで怖いと思える人には楽しいのでしょうが、明らかにCGの黒いモニャモニャがウゾウゾしてても、うーん既視感・・・としか思えませんでしたね。
あと作中で何度か首吊り幽霊が出てくるのですが、これが作中で「ブランコ」と言われているようにほんとに勢いよくブラブラしていて・・・。怖いポイントなんでしょうが、すみません、楽しそうで笑っちゃいました。
3.これから皆に何か起こるよっていう
オチは良かったです。
話を聞いただけでも呪われるっていうのは、まぁ他のホラー映画でも見たことあるので新しい感じは全くないですが、登場人物全員これからヤバいよっていう感じで終わるのは良かったです。
特に建てたばかりの新居で起こる呪いの前触れ(人のいない所で感知センサーが作動したり、気持ちの悪いイタズラ電話がかかってきたり)は、別の意味でもゾクゾクしました。
久保さんのように賃貸なら引っ越すのもまぁできるでしょう。何万か犠牲にすればできます。しかし終の棲家と決めた新築マイホームは・・・・・・耐えるにもストレスだろうし、引っ越しするにも費用と何より人生設計が・・・・・・。ほんとに見ててつらくなりました。
一番よかったのが私は関係ないのよとノホホンとした感じで描かれてたご近所さんの家で、子供が天井を見上げていたシーンですね。
大人はまだ気づかないんでしょうねぇ。でもそのうち子供達が何か気味の悪いことを一斉に言い始める・・・。そう予感させるワンシーンは最高でした。
<まとめ>
ホラーとしてはありがちで全ての既視感を集めたような作品。
出てる俳優が好きとかいうモチベーションなら見て楽しいと思います。
原作を読んでないので、原作と比べてどうというのが語れないのですが、ホラー映画としての怖さはほとんどなかったですね。
ホラーにうるさいYOUTUBEの方、なぜこれを勧めたし・・・。まぁ実話怪談をやっている人には面白いのかもしれませんね。
ムカデ人間2
<あらすじ>
映画「ムカデ人間」の熱狂的なファンである主人公マーティンが、12人でつくるムカデ人間を実現するために頑張るよ!
<感想>印象に残った所を挙げます
1、怪優
まず、主人公の容姿に唖然!圧倒的存在感に終始釘づけです。
ヤバイ目、ヤバイ汗、ヤバイ腹、指を口に入れるな!寝グソするな!
チビデブハゲ不潔精神病という思いつく負の特徴を全て与えられたような主人公マーティンの、画面から漂ってくる臭さがたまらなかったです。
リアルでは電車にたまにそれ系の人がいるかなくらいで、お近づきになることはないだろう人物。
よく指を口に入れますが、ああきっとくっさいんだろうなぁと思いながら見ていました。
無表情であることが多いのですがガンガン目をトバしまくって、鋭い眼光が言葉よりも多くのことを語っています。
マーティンがチャーミングであることは間違いないです。知的さも感じます。
でも決して他人と心が交わることがないんだろうなと思います。
紙やすりでナニをしごくのは面白いなと思いました。
北村がいつまでもムカデ人間の人と言われるように、この方ローレンス・R・ハーヴェイさんもムカデ人間2のやべー人って永遠に言われ続けるでしょう。素晴らしい俳優さんです。
2.虐待と家族
マーティンの家庭環境はめちゃくちゃです。性的・精神的虐待を父から受けて父は服役中。母もマーティンの味方ではなくて、父親の不在をマーティンのせいと罵ります。(おそらく経済的な問題でしょうか、例えば父親は元教師だとかエリートだとかね※想像)
それに対してマーティンは何にも口答えしません。気まずそうな顔はします。
あの威圧感あるマーティンが、すでに殺しをやったマーティンが、ママの前では子供のように大人しいのがリアルで物悲しい反面、ちょっと笑えますね。
まぁあんな家庭で育ったら、誰だってマトモにはなりません。
マーティンがふっと湧いてでたモンスターではなく、家庭環境によって1から作られた人間であることが描かれていたのは個人的に大変興味深かったです。
・ママを殺すか、殺さないか
ママを殺すか殺さないか、どっちだ!? という場面がありました。
私は殺さないと踏んで見ていましたが、まさか殺してビックリしました。
他人は大量に誘拐するけど、母親だけは殺せない、なぜなら母親は自分の一部であるから、自分の世界を構成する1ピースであるから自分から世界は壊せない・・・などと思っていました・・・がハズれました。
マーティンにとって実は母親もどうでもいい他人の一人だったんでしょうか。
母親殺したあとに上階から騒音がなった時、マーティンの「あ、あいつゲットしよう」って顔は面白かったです。そして母親がやっていたようにほうきの柄で天井をつつくのです。あれが唯一マーティンに共感できた瞬間だったかもしれませんね。
3.妊婦
ムカデ人間の材料として妊婦が登場した時はビックリしました。オイオイそこ行くのかと・・・。
しかしラストはちゃんと妊婦ツエーになっててほっこり。
しかしアクセルと一緒に赤ちゃん踏みつぶすのは解せなかったですね。
バールも持ってないマーティンが車の窓を破ることなんてできないのに。
足でちょっと赤ちゃん避けて、アクセル踏めばいいじゃないですか・・・。
赤ん坊より自分の退避を優先させるっていうのは、監督が妊婦最強神話をぶちこわしたいとかそういうのがあったのでしょうか?
でも考えれば考えるほど、個人的にはあれでよかったと思います。
妊娠中の高いストレスは成長に必要なホルモンを抑制して、赤ちゃんの育ちを妨げ様々な障害のリスクを上げるそうです。もしあのまま生まれていても・・・。と、これは完全に行き過ぎた想像ですね。
4.前作の真ん中の子
前作は映画だったとして、真ん中の人を演じた女優をマーティンがオファーします。
のこのこついてくるアシュリン・イェニー演じるアシュリン・イェニー。
明らかに臭いキモブタ親父の怪しい車に乗り、途中逃げ出す努力もせず嘘のオーディション会場に入っていきます。
もうね、、、アホかと。アホの子かと。
いや可愛いですよ。いいと思いますよ。キャラとしては。
でもわざわざ前作を映画として、それと対比した現実の出来事を描くのに、この女優の無防備さはリアリティゼロ。
警察が全く働かない世界ですから、この世界の人はこんな感じなのでしょう。(投げやり)
まぁ警察については監督の皮肉なのかもしれませんね。
5.静かなる狂気に満ちたオチ
夢オチや逮捕される直前など色々な解釈はあると思いますが、個人的には妊婦家族を襲った後、12人揃えるため犠牲者を待っている画面に戻ったものだと思いました。
『この男は今から、私たちが今まで見てきたことをやります。こんな異常者がどこかの駐車場で、スーパーあるいは街角で、犠牲者を待っているかもしれません』
そういうリアルホラー演出だと感じました。
フィクションをリアルで再現してしまう男の恐怖、がテーマの一つだと思うので、シメもそのような感じなのかなと。
・夢オチでない理由
夢オチを否定する理由は、夢らしく荒唐無稽ではあるもののマーティンが見る夢としては想像力高すぎだからです。
マーティンは作中寝る時いつも幼い時の悪夢を見ます。ムカデ人間づくりが夢とすれば、恐怖の対象父親が一切出てこないというのはちょっと考えられないです。
それに抑圧されている人間が悲願の成就を夢見ることができるのか?っていうのも疑問です。
「ムカデ人間を作る」のはある意味創造的で、根気のいる作業です。実際作る最中で細かな失敗を何度もしています。
もし、夢だとすれば自分が失敗する想定をするでしょうか?健常者ならともかく、あのマーティンが・・・?
マーティンが自分を客観的に見れているとは思えないし、夢だとすれば最初から前作のようなスーパードクター然としたマーティンで登場するでしょう。
それにムカデ人間の材料たちは、様々な動作や表情で感情表現をします。他人に全く興味のなさそうな、見知った医者より尻にウンコのついたままでムカデの世話を優先するようなマーティンが、数多い登場人物のそういった言動を夢で再現できるとは思えません。
<まとめ>
マーティンが可愛いから面白かったです。
しかし前作と比べると、前作の方が面白かったですね。警察が気持ちよく働いてくれるから。
今作ではムカデ人間そのものより、ムカデ人間を作る人間にスポットが当てられていました。
マーティンばかり目立って、12人のムカデ人間のほうはおざなりというのは、ムカデ人間2としてはどうなのでしょうね。
ホチキスとガムテとかその気になれば接合部分ちぎってでも抜けられるだろとか、全員が団結したらマーティンが喘息薬吸引中にでも割とすぐにやっつけられるだろうとか、いらんこと考えてしまうのは残念でしたね。